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[2012/04/26]

震災から一年─宮城県南三陸町を訪ねました 地域・観光・歴史

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東日本大震災から一年─。3月10日~11日、宮城県南三陸町に向かうしょうなん茅ヶ崎災害ボランティア「TAJ(タージ)」に同行。彼らと一緒に現地の声を聞きました。        (編集部・増田誠子)

「TAJ(Team Aid for Japan)」は、茅ヶ崎社会福祉協議会(以下「社協」)が昨年6月から実施してきた被災地支援バスパックの参加者が「自分たちでできることを」と、10月に立ち上げたグループ。南三陸町訪問は3回目。被災地にこれまで10回以上足を運んでいるメンバーも少なくありません。今回は現地の人々との交流会と視察を目的に26人で向かいました。

交流会では震災当日や今の暮らしなどの話が

交流会では震災当日や今の暮らしなどの話が

メンバーと南三陸町の子どもたち。子どもたちは頬を真っ赤にして走り回るなど元気いっぱい

メンバーと南三陸町の子どもたち。子どもたちは頬を真っ赤にして走り回るなど元気いっぱい

「でもやっぱり海が好き」

同町津の宮地区の仮設住宅の並びにある自治会館で行った交流会で、メンバーはお茶を振る舞いながら、集まった現地の人々の日常や震災体験に耳を傾けたり、子どもたちと遊んだりしました。
「今年のワカメはできがいい」と話すのは三浦勝夫さん(77歳)。昨秋種付けしたワカメが収穫を迎えていました。皮肉にもあの地震で海底が一掃され、プランクトンが多い良質の海となり、カキやホタテも2~3年かかるところが1年で収穫できそうだといいます。
地震発生時は自宅に並ぶ作業場で津波に遭い、70坪ほどの建物ごと流されました。自宅にいた息子さんも家ごと流されましたが奇跡的に助かり、奥さん、お嫁さん、3人のお孫さんも無事でした。
「水が見えないほど」のがれきにあふれる波の中を、寒さに震える手で屋根に何とかしがみつき、沖へと流されました。雪と風が冷たく、日が暮れていく中、何度も絶望と希望に気持ちが揺らいだといいます。「この時間はだいぶ長かった」。ですが、物語のように次々と、真新しい黄色い救命胴衣、作業場のロープ、ゴザが手元に流れ着き、最後には親戚の息子さんの船に発見され九死に一生を得た三浦さん。
「死にかけた身。倒れるまで頑張る。南三陸町の発展は漁民が頑張らなければいけないんです」と力がこもります。「昔から津波に遭っているのにそれでも漁師がいいのかとよく言われます。でもやっぱり海が好き。漁師から海を取ったら暮らしていけないんです」。
しかし、まだ漁民の半分に船がなく、この集落に暮らしていた約80世帯のうち20世帯ほどが津波が怖いと移り住んでいったといいます。
三浦さんは8月から仮設住宅で生活しています。「日が経つにつれて、人々の生活に差が表われてきています。まだまだ先が見えない状態です。みなさんの援助が頼りです」と。
今の楽しみは孫の成長。「ここで育ってほしい」と、ふと表情が和らぎました。

津波で壊された戸倉小学校の体育館を、TAJメンバーに説明する三浦さん(中央)。昨年3月1日に落成式をした新しい建物で、震災翌日には卒業式が行われる予定だったそう。頑丈に造られたはずが見るも無残に。カキ漁で使う網などが巻きついていました

 

「遠慮なくいらしてください」

三陸の海を見渡す岸壁に立つホテル観洋は、この地震で1階・2階が浸水しましたが、昨年8月まで避難所として人々を受け入れながら、7月末に営業を再開。利用状況は平日も例年の8割ほどに回復しているといいます。女将の阿部憲子さんは、「交流人口の増加が被災地の復興につながります。がれきの撤去だけが支援ではありません。遠慮なくいらしてください」と呼びかけます。
同館では昨年11月から「語り部ツアー」を実施。従業員が語り部としてバスに乗り、当時の様子を語りながら街を案内します。「伝えないと分からないですから」と語り部を務める渡邊陽介さん。震災から1年を迎え、「自分の中で区切りはつきませんが、次第に世間が変わっていってしまうのでしょうね」とも言います。

ホテル観洋の女将・阿部憲子さん。ちょうど3月とあって、館内にはひな人形が飾られ、訪れた人々の目を和ませていました


まず“忘れない”ことから

今回TAJが取ったアンケートの「今ほしいもの」には、洗剤、入れ歯洗浄剤、トイレットペーパー、入浴剤などの日用品が未だ挙げられていました。TAJ代表の久我真さんは、「これらは主に高齢者の記入。若い人は動けるが、動くのがおっくうなお年寄りは日用品を書く」と言います。まだ近くに商店はなく、移動販売は値段がやや高いという声も。高齢者にとっては買い物も一苦労なのでしょう。
「何度も尋ねてようやく『口紅がほしい』と口にしたおばあちゃまを見ていて、本当はほしいものがあってもなかなか言い出せない印象を受けた」と話すメンバーも。
今回の訪問で、以前から訪ねているメンバーは「がれきが前よりだいぶ片付いた」「人々が少し心を開いてくれるようになったと感じる」などの前向きな変化を感じていました。一方で、現地の人の「仮設に住んでいる者同士では震災のことを話せない。外から来た人には話せる」という苦しさも知りました。ボランティアの訪問に「忘れられていないと実感できるのがうれしい」という現地の人の声・・・。
人々は少しずつ生活を取り戻していますが、家々の消えた景色、無残に折れ曲がった鉄骨やがれきなどを目の当たりにすると何ともいえない気持ちになります。まだまだ支援は必要とされています。自分はどのように役立てるのか─。まず"忘れない"ことが復興への力となるはずです。

 

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